2010年3月29日(月)朝から雪、霰(あられ)、霙(みぞれ)と青空が10分おきに交代する不思議な空模様です。
庭に出ていたら、頭や顔が痛くなるほどの霰が降り出しました。
それでもトランプは平気で庭をうろついています。

昼ごろには荒天が少しおさまったように見えましたので、トランプとレディーは近くのダム湖へ運動に行きました。
しかし、しばらく歩いていると前が見えないほどの吹雪になりましたので、あわてて家に戻りました。

夕方が近づくと、雪がはげしくなり、積もり始めました。
この写真では心霊写真のオーブ(Orb)のようなものが写っていますが、もちろんストロボに照らされたボタン雪です。

庭にある何本かの桜の木の中で、八重の枝垂桜(しだれざくら)がいち早く咲き始めたのですが、かわいそうに花に雪が積もってしまいました。

《蛇 足》
春に雪が降ると、私〔夫〕がいつも思い出すのは『香港』です。
香港といってもアヘン戦争の結果、イギリス領になり、1997年に中国に返還されたあの香港ではありません。
何年か前まで、大阪の長居陸上競技場のすぐそばのビルの地下1階にあった中華料理店の『香港』です。
その店は深夜まで営業していましたので、仕事で遅くなったときなどはよく利用しました。
真夜中、お客さんが一人もいない店に入ると、決まって店主が赤く塗られた丸テーブルで餃子を包んでいました。
自動ドアが開くと渋い声で「いらっしゃい」、そして顔を上げて客の顔を見て「まいど」。
店内の壁には所狭しと魚拓がはってありました。
魚拓のそばには、小柄な店主が大物の魚を持っている写真も押しピンでとめてあります。
今でも、もう一度食べたいと思うメニューは「ぜいたくランチ」。
「ランチ」という名前でありながら真夜中でも食べられるというのもすばらしいですが、何といってもそのメニューの語感が秀逸です。
酢豚、八宝菜、いろいろな揚げ物、サラダなどが一皿に盛られ、玉子スープと、白飯ではなく焼き飯がついてきます。
朝から深夜まで仕事をした自分へのご褒美として、この「ぜいたくランチ」は最高でした。
「ぜいたくランチ」をゆっくり食べながら、日ごろは読まないスポーツ新聞を眺める。
当時の私にとっては、いかにもぜいたくな時間でした。
食事を終えてレジでお金を払うのですが、そのレジの奥には落語家の桂春蝶(かつら・しゅんちょう)さんの色紙が張ってありました。
1993年に51歳で夭折された二代目桂春蝶さんは私の好きな落語家の一人でした。
現在の三代目春蝶さんのお父さんです。
皮膚が骨格にはりついたような痩身で、ぎょろ眼という独特の風貌。
知的で繊細でありながら、いや知的で繊細であるからこそ浴びるように酒を飲み、酒が原因で生命に終止符をうってしまった破滅型の人生。
独特の間をもつしみじみとした語り口調。
上方の落語家ではあまりおられないタイプの、洒脱な落語家でした。
実は桂春蝶さんの落語を聞く機会はそれほど多くありませんでしたが、ラジオ大阪(OBC)の深夜放送「バチョンと行こう」などのAMラジオはよく聞きました。
ABCラジオで春蝶さんが司会役、吾妻ひな子(あづま・ひなこ)さんと、これも夭折された桂枝雀(かつら・しじゃく)さん、当時はまだ桂小米(かつら・こよね)さんでしたが、このお二人が対戦なさった「日産ポップ対歌謡曲」もおもしろかったなぁ。
さてその「香港」にあった色紙ですが、細めのサインペンで書いてあり、そば寄ってよく見ると「春の雪 誰かに電話したくなり」という句が添えられていました。
雪国の人は別にして、大阪などあまり雪が積もらない地域では、珍しく春に積もった雪に子どもがはしゃぐのはもちろんですが、大人にも独特の高揚感が生じるものです。
春蝶さんが大きな眼を上に向けて天井を見ながら、「朝起きて、いやびっくりしたなぁ。もう春やいうのになぁ。」などと友人に黒電話で話している様子までが眼に浮かぶいい句です。
春の雪にめぐり合うたびに私が思い出すのは、今はもうなくなってしまった「香港」と桂春蝶さんの色紙。
休日もとらず深夜までしゃにむに働くことができた自分も含めて、ああ、何もかもが懐かしい...
《蛇足の蛇足》
ネットでいろんな情報にアクセスできるようになった数年前、ふと思い立って「春の雪 誰かに電話したくなり」という俳句を検索してみました。
すると、驚いたことにこの句は上方落語の至宝、桂米朝(かつら・べいちょう)さんの句だということがわかりました。
米朝さんは八十八(やそはち)という俳号もお持ちの俳人でもあり、この句は代表作としてよく知られているとのこと。
う~ん、人生には知らないほうがいい情報もあります。