2020年6月9日(月) 《松坂城跡で その2》トランプとレディーは「
松坂(まつさか)城跡」の南側にある「
御城番(ごじょうばん)屋敷」を散策しています。
この角度から見ると、この組屋敷が屋根を共有する「長屋」であるのがよくわかります。


美しく整えられた槇(まき)の生け垣は見る者の眼をとらえて離しません。


裏門跡から松坂城跡に入ります。

石垣の中にハート型の石を見つけました。
ガイドブックや観光のウェブサイトにも載っていなかったので、ひょっとしたら新発見かもしれません。

立派な藤棚。
満開のころはさぞ見事な眺めだったことでしょう。



そろそろ駐車場に戻りましょう。

この後、ホテルに戻って朝食。
チェックアウトをしてから、農産物直売所や地元スーパーを中心に買い物をしながら帰りました。
自宅に着いたのは午後3時ごろ。
静かな午後、あたりが暗くなるまでみんなでお昼寝を楽しみました。
《蛇 足》
「
伊勢うどん」という独特の様式を持つうどんがあります。
私たちは麺のコシと伸びを重視する讃岐うどんが大好きで、このブログでも...
2010年1月、
2018年4月、
2018年11月、
2019年11月の記事で香川県でいただいたおいしい讃岐うどんをご紹介しています。
また、大阪で讃岐うどんのコシを楽しみたくなったときには、自転車で5分ほどのところにある
「釜ひろ」さんへお伺いして、最近では「新ジャンル」となった大阪讃岐うどんをいただきます。
(釜ひろさんの冷たい「生醤油うどん」は絶品だと思いますが、他のメニューもとても美味です。)
仮に普通のうどんのコシを数値で表して50とするなら、讃岐うどんは80から100といったところでしょうか。ところが、伊勢うどんのコシはほぼ0。
三重県には「伊勢うどん」の名店がいくつもありますが、そのうちの1軒を取材した記事によると「お客さんに出す前日に極太のうどんを1時間ほど茹でて寝かしておく」そうです。すると麺全体が均質に柔らかくなって、独特の歯ざわりが生まれるとのこと。
その柔らかいうどんを再び茹で、たまり醤油、ざらめ、みりんなどで味をつけた黒くてとろみのあるタレをかけて提供されるのが伊勢うどんです。このタレは決して塩からくなく、見かけに反して甘いのが特徴です。
極太のふわふわ、プニプニしたうどんに甘いタレ。
他の土地にはない組み合わせですが、蠱惑的な魅力を持った素晴らしいうどんです。
今回のお伊勢参りでもお店で伊勢うどんをいただきたかったのですが、暑い中、車内でトランプとレディーを待たせることは「絶対に」できませんから、スーパーで麺とタレのセットを買って自宅で味わうことにしました。
私たちのお気に入りは三重県にある「
大徳(だいとく)食品 中京事業所」さん製造によるこのセットです。

麺を少し長めにゆでて、タレをかければはい、できあがり。
他のおかずといっしょにいただくので、薬味や具はとくに必要ありません。

今はもう6月の下旬ですが、伊勢から帰って以来、炭水化物を食べたいときの主力メニューはコレです。
(上の写真の包装にある通り、賞味期限は8月2日なのでご心配なく。)
《蛇足の蛇足》
ここからは私〔夫〕の独り言です。
「めしばな刑事(デカ) タチバナ」(原作 坂戸佐兵衛さん 作画 旅井とりさん/徳間コミックス)の第7巻に「うどん百景」というシリーズがあって、『うどん帝国「四国」を取り囲むようにコシなしうどん包囲網が存在している』というテーゼが打ち立てられ、それを実証する各地のうどんが次々と提示されます。
そのひとつとして、(当然のことですが)コシほぼ0の伊勢うどんについても次のように語られています。

また、それを原作とする佐藤二朗さん主演のTVドラマでは下のような『アンチコシ包囲網』という名前の明確な地図も掲げられています。
(下の画像はDVDからのキャプチャーです。DVDも持ってるんだもん。)

この分析には目から鱗。うどんのコシをあまり重視しない地域の方が広かったのか...
名古屋、福岡、広島のコシに頼らないうどんはいつの日か腰をすえて味わってみたいと思っていますが...
私が子供のころから味わい続けているのはやはり「コシにこだわらない大阪のうどん」です。
今にして思えば、大阪のうどんで大切なのは具であり、出汁。
30歳を超えて讃岐うどんの存在を知るまで、私自身もうどんのコシはあまり気にしていませんでした。
私のうどん体験はみなさんと同じように家で作ってもらったうどんからはじまります。
小さいころ、毎週日曜の朝食はほぼあたたかいうどんでした。
ひとりでお使いができるようになると、徒歩で近くの製麺所へうどんの玉を買いに行くのは私の役割になりました。
製麺所の方に玉の数を伝えると、太い菜箸を短く切ったような道具2本を片手に持ち、うどんの玉を注文した数だけ次々と刺しつらぬいて、当時は「蝋紙」とよんでいた半透明の紙に手早く包んでくださいます。
家に戻るころには熱い出汁ができていて、それにお湯で軽くさばいたうどん玉、生卵、刻んだ葱を入れて「いただきます。」。
これが日曜朝の習慣でした。
私は祖母に育てられましたが、祖母の気合いが入っているときには昆布と削った鰹節で出汁を取り、薄口醤油であっさりした味をつけた極上のツユ。忙しい朝には
ヒガシマルのうどんスープを湯でといたツユ。柔らかくのどごしのいい麺がここちよく、どちらのツユもおいしかったです。
今日まで私自身が外食でいちばん数多く食べたうどんのメニューといえば、近畿を中心に多数の店舗があるチェーン店「都そば」の「スタミナうどん」だと思います。高校2年以降、いろんな事情で朝食が用意されていないときには、自宅と最寄り駅の間にあった「都そば」の店で朝食を食べてから高校へ登校しました。
「スタミナうどん」とはつるんとしたコシのないうどんにかき揚げと生卵がのっているメニューです。
このかき揚げというのが、ご覧になったことのない方には信じていただけないようなモノで、いわば「天かす」の集合体。干しエビのかけらのようなものを感じるときもありますが、基本は天ぷらの衣のみを油で揚げただけの物体とお考えください。このかき揚げはすばやく出汁を吸収して崩れ、麺をすべて食べ終わるころには出汁と渾然一体となった油っこいドロリとした「液体と固体の中間のような物質」になります。それを飲みほして朝食は終了。確か200円でおつりがいただけたような記憶があります。
というような文を書いていると...「今でもスタミナうどんはあるのだろうか。あるならば食べてみたい。」という気持ちが沸々とわき上がりました。
ネットで検索すると...自転車で行ける範囲に「都そば」のお店があることがわかり、半世紀ぶり(!)に行ってきました。
その雄姿が次の写真です。価格は410円でしたが、見た目も味もほぼ昔のままでした。
うどんも平らに打ってから切る製法ではなく、穴から押し出して成型するやりかたのように思いますが不満はありません。
さざ波のように押し寄せる懐かしさの中で、おいしくいただきました。

さて帰り道、自転車を漕ぎながらマスクの下で感じた後味は「過剰なうまみ」。
これが天然原料でつくられたプロ用の出汁の素からくるのか、化学調味料からくるのかを判断できるほど鋭敏な舌は持っていませんが、後口に残る「過剰なうまみ」が妙に気になりました。
これが50年近く前も同じだったのかどうかは分かりません。
腹さえ膨らめば満足していた高校生のときと、小食になった現在では味覚そのものが違うでしょうし、当時の味覚の記憶も今となってはおぼろげなものになっていますから。
ともあれ...そんなことをぼんやり考え、マスクの息苦しさに耐えながら、ゆっくりゆっくり自転車を漕いでトランプとレディーが待つ涼しい部屋へ帰ったのでした。